愛と祝福は不可分

真理に宗教の相違はありませんが、正しい方向に向かって、善と愛を教えなければなりません。それには感謝、尊重、愛の精神でもって人々を導き、人間(じんかん)菩薩に育て上げるのです。

幸福は容易に手に入るものではない

十月二日、トルコの記録ボランティアである余自成(ユー・ズーチョン)師兄(スーシオン)が法師に報告しました。彼は二十年ほど前、トルコの人間(じんかん)菩薩を慈済の大蔵経に残す、と発願しました。二○一四年十月六日、慈済が初めてシリア難民に配付を行った後、上人は、教育は待てない、子供たちに憎しみを捨てさせ、心に愛の種子を植え付けなければならない、と言って聞かせました。胡光中(フー・グアンジョン)師兄をはじめ、ボランティアたちは難民の子供たちのために奔走し、マンナハイ国際学校を設立しました。

八年前、工場で働いていた男の子のアリは取材を受けた時、なぜトルコの子供たちは学校に通っているのに、自分は働かなければならないのか、といつも自問していたことを話してくれました。二○一五年、アリはマンナハイ小中学校に通い始めました。今は一家共にガジアンテプ市に引っ越し、彼は上人にご挨拶のビデオ動画を収録して送って来ました。彼はアルバイトしながら情報エンジニアリングを勉強しており、それを仕事にすると共に、慈済人となって社会に恩返しをし、他人の人生における恩人になることを発願しました。

当時と今の写真を一枚一枚見比べると、大半のシリア人子供は教育が受けられるようになって、表情が明るくなっています。今年九月初めの統計を見ると、マンナハイの卒業生及び学費支援をした大学生の中で、十五人が医学部、十人が歯学部、十人が看護学部、そして四十六人が医療関係の学部に通っています。マンナハイ国際学校のムニル副校長は、「私は二人の子供がそれぞれ医学部と歯学部に受かったことを知った時、心からアッラーに感謝しました。ここ数十年でこんなに嬉しいことはありませんでした。これは異郷に流浪していて、容易には手に入らない幸福です」と言った。

31人のマンナハイ国際学校の生徒が大学進学を控えて、卒業証書を受け取ると、教師たちにノートブックを記念に贈った。(撮影・Mohammed NimirAljamal)

サカリア大学医学部に受かったユジアンは、特別に母校のマンナハイ国際学校に戻り、上人の写真に向かって、その朗報を報告すると共に、将来は医療に従事し、慈済に協力して経済的に困難な病人の施療活動に参加する、と発願しました。

上人は余師兄に対してこう言いました。「本当に慈済の歴史に残すなら、一人ひとりの人生の歴史を振り返る必要があります。あなたは特別な縁があってトルコに行き、シリア難民の子供たちと出会ったのです。ここ数年の出来事はとても豊富で、非常に価値のある話です。子供もその親たちも戦争という血なまぐさい歴史を経験しています。多くの人は、元々シリアで豊かな生活をしていましたが、少数の心に無明を抱えた人たちによって戦争が引き起こされ、多くの家庭が苦境に陥ったのです」。

「慈済人は多くの国に分布していますが、慈善支援をする過程で数多くの出会いと離別による人生の喜びや悲しみを目にして来ました。もし、その場で録画し、文字に記録できれば、それは最も貴重な真実の歴史の記録となるのです」と上人は言いました。

余師兄によれば、報告の中で出て来た数人の他、まだ非常に多くのマンナハイの生徒たちが慈済人になりたいと発願しています。上人は、慈済人の愛が宗教の壁を超えたことを褒め称えました。特にトルコ慈済人の姿は、この子供たちの心に深く刻まれています。その愛はそうやって「一から無量が生まれ」、マンナハイ学校の卒業生は全て愛の種子を携え、将来、どこに行っても、その種子をそこに根付かせ、その地に希望をもたらしてくれると信じています。これも慈済人の慧命の価値だと言えます。

上人によれば、生命は体を動かしますが、慧命は精神理念です。その精神理念は、目や耳、鼻、舌、身、意識という六識が発達することによって、善悪の初歩的な分別ができるようになり、その次に第七識で理解して、何が正しいのかと思考してから行動に移します。トルコ慈済人がシリア難民の苦境を見て、思考を巡らせてから積極的に行動を開始し、子供たちを労わると同時に正しい行いを教えているのがその一例です。その一切の行動の結果は第八識に属します。ですから、「何も持って行くことはできないが、業だけがついて行く」と言われるように、その第八識が「業識」であり、造ったのが善業の意識であれば、それも生々世々、付いて行きます。

慈済人は見返りを求めない奉仕をしていますが、それ以上に人に真理を伝え、情を伸ばし、大愛を広めるよう、上人は余師兄が仏法精神を深く体得するよう励ましました。真理に宗教の分け隔てはありませんが、正しい方向に向かって善と愛を教えると共に、感謝の心で相手を尊重し、愛の精神でもって人々を導き、人間(じんかん)菩薩を育て上げなければなりません。

(慈済月刊六七三期より)

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